8.6広島
広島に向かう十数時間のバスの中では「8.6」という曲を繰り返し聴いていた
ハスキンの原曲とtoeの演奏で土岐麻子さんが唄うカバーの2曲
気づけば8/6には必ずこの曲を聴いている
人類が忘れてはならぬ出来事や想いが曲を形成している
こういった楽曲の貴重さよ
100年後もその先の未来も人類がこの曲を聴いて想って欲しい
長時間のバス移動の末、大して睡眠も出来ずバキバキの身体で早朝5:30過ぎに広島広域公園という駅に到着した
ここから平和記念公園がある市街に向かう
アストラムラインという名の車輪が付いた乗り物(後々聞いた情報だと地元の方はアトムと呼ぶそうだ)
の車内は広島カープ、駅のホームはサンフレッチェ広島のデコレーションが施されていて
広島にいるという事を感じさせるには十分な迫力であった
広域公園付近は緑豊かな郊外といった感じで、アトムが進むにつれて山間からは朝日が差し込んできた
平和記念公園の最寄駅の県庁前駅を降り立った時には朝日という生優しいものではなく夏の日差しが降り注いでいて気温も30℃近くまで上昇していた
気づけば、疲労感や睡魔は気温によってか溶かされていた
80年前の8月6日は晴れていたそうだ
今ほど暑くはなかったであろうか
といった事を思いながら、ジリジリと日差しを浴びながら平和記念公園の方へ歩き出していく
すると、直ぐにあの網状の象徴的なドームの上部が見えた
わたしはドームは見つかってしまった様な不思議な感覚になり、目を離せず引っ張られる様に原爆ドームへと向かって行った
原爆ドームから道路を一本挟んだピースプロムナードでは大勢の僧侶が列を成し、スピーカーから音声を流しているかと錯覚するような声量で読経が行われていた
そこから、横断歩道を渡った原爆ドームの前(厳密には柵を挟んだ平和記念公園外)では、右派や反核等様々な団体がデモ活動をしており、機動隊や報道陣でごった返しており騒々しい雰囲気であった
公園内に入るには所定のゲートが設けられており、荷物検査を受け公園に入場した
公園内に入り、原爆ドームから離れて式典会場方面へゆくと“平和式典らしい雰囲気”になっていた
広島市の多くの小中学生は8/6に平和学習の為に登校するそうです
時ともに戦争・原爆経験は減っていき、いつか経験者が居ない世界になってしまう
それでも、戦争や原爆の悲惨さや唯一の被爆国としての非核保持の意識が教育されていたり、褪せていないのが式典に参加している人々から感じられました
午前8時に近くなり、原爆ドーム方面にゆくと相変わらずデモ活動は行われていた
午前8時15分を知らせる
鐘の音が公園内に響く
それでもなお拡声器を使用し主張を続ける人
その人に対して「この時間くらい静かにできないのか!」と言うひと
今までテレビで観ることがあった被爆者を弔い穏やかに平和を祈る平和式典の8:15とは違い、あらゆる角度から8/6という日に対する感情が渦巻いていた
午前8時15分の広島は時が止まった様になるものだと思っていたが、実際にはそうではなかった
わたし達は目を閉じて祈る
あれから80年後のその時を写真を収めたいと思いレリーズを押した