植物即身仏
2024.8
数年間自宅で育てていた木が死んだ。
カポックまたはシェフレラとも呼ばれていて観葉植物の中では育てやすく、よく目にする品種のものです。
5年ほど前から自宅で育てていて、成長する毎に鉢のサイズをグレードアップしていきました。
鉢を一回り大きくすると新しい枝を伸ばし幹も益々たくましく太くなってい久野でした。
気づけば、わたしの目線くらいの高さになりました。
鉢を除いても1メートル2、30センチくらいの幹に成長していました。
ところが、昨冬。
室内で管理していたのにも関わらず、全体的に葉が萎れて黄色くなってしまい、ついには落葉してしまいました。
今までこんなにも一気に落葉する事はなかったので些か心配になり、葉が無くなりはだかになった幹を触ってみた。
そしたところ、なんだかふかふかしていてハリがなくなっていました。
しかも、どっしりと植っていた幹はゆらゆらして、強く押したもんならこてっと倒れしまいそうでした。
これは只事ではないと思い、焦ったわたしはせっせと栄養剤を混ぜたお水を幾日か与えました。
ところが、虚しくも回復することはなく、数日後幹を引っ張るとほろほろと簡単に根が取れて呆気なく抜けてしまいました。
往生際が悪いわたしは諦め切れず、蘇生を試みて幹を数日間水に浸けて祈りました。
しかし、彼は水を吸い上げる様子もなく、また新しい根を出すでもなく何も起こることはありませんでした。
わたしはその木の死骸(普通の見方をすれば、流木にみえる)を即身仏が如く保管する事にした。
そして、遺品整理の如く根の残骸が残る鉢も片付ける事にした。鉢を片付けていて驚愕の事態に直面した。鉢の中は根で満ち満ちになっていたのでした。
つまり、ほとんど土は無く根詰まりを起こしていて根がうまく呼吸、吸水が出来ない状況下であったのです。
以前読んだ「土と内臓」という本から得た有機的な土がほぼない様な状態でした。
有機的な土が大切なのをわかっていながら、水と栄養剤で済ませていたわたしが愚かでありました。
葉っぱが成長しているのにかまけて鉢の中の事が疎かになっていた。
古来より日本人は自然と共に生活をしていました。
山や川や岩、古木には神が宿っていて人々は祈祷やお供えものをする事で目に見えぬ神を慮る。それが、神道であり日本人の精神でした。
現代人が観葉植物として扱っているものに神は宿っていないかもしれない。
しかし、鉢という窮屈なハコに入れらせてしまった生物が心地よく生きていけるか慮る事を留意する事は現代人にとって選挙に行くのと同じくらいマストなのではないかと思います。
これからは植物の上部(葉、幹)だけで無く、内面(根、土中環境)とも積極的にコミュニケーションをとっていきたい。
と、即身仏になった彼をみて思う今日です。
makino