村へ行く
2024.8
2年前の夏、大阪のとある村に行きました。
と言っても、実は大阪に村という自治体は唯一その村しか存在しておらず、千早赤阪村というところでした。
わたしはその村に行く使命感にかられていました。
では、誰かに何かを頼まれたとかどうしても会いたい人の元へ行くとかというとそういうわけではありませんでした。
その土地が存在している事を自ら確認せねば気が済まないといった面倒な症状に見舞われたためでした。なんなんだ、それは。と、お思いでしょう。
世の中の多くの人はそういった面倒な症状になった事がないかもしれません。
そして、わたしもその時まではその症状に罹った事はありませんでした。
しかしながら、ある本をあらぬ読み方をした事によってその様な症状に陥ってしまいました。
わたしはその本に書かれている事件も人物も地名も全てが架空のものであると思い読み進めていました。読書なので当然ではありますが、読んでいくなかでその土地や風景や場面や人物を想像しながら読み進めていました。
読了し、解説を読みそのストーリーは完全なフィクションではなく実際に存在しうる村で明治時代に起きた“河内十人斬り”という事件を題材に書かれている事を知りわたしは目玉がいくらか飛び出しました。
その時の心のざわつきは大層なもので、心拍数が急激に上昇した感覚もありました。
読んだ本は町田康著「告白」
登場する人物が実際におり、実際に人が死んでいる。当然、町田氏の脚色がふんだんにあるとはいえ、描かれている棚田の風景や川、建水分神社が存在している。マジか。
わたしは衝動に突き動かされ千早赤阪村に向かいました。
新大阪から梅田へ。梅田から在来線に乗り富田林駅まで行く。富田林も作中に登場する地名であり、つい発声したくなってしまう地名であった。
富田林から千早赤阪村までは車で15分程。
建物や民家はどんどん減っていき山間に入って行くと田畑と民家がある。
長閑な棚田と集落がある村というに相応しい土地だと感じた。
作中に何度も登場する建水分神社。
石段を登りながら、作中の人物は何を思い同じ石段を登っていたのだろうと考えずにはいられなかった。
千早赤阪村が観光の一つに推している棚田の入り口にはこの土地や美しい棚田の風景をアピールする様な説明が書かれた看板が立てらていた。
車がやっと一台通れる様な道をうねうねと登っていった。
遠くから鳥の鳴き声と風が吹く度に稲の擦れる音がするくらいで静かな田園だった。
田んぼの手入れをしている方が一人いるだけで他には誰もいなかった。
朝日や夕日が山間から差し込む時間帯にはまた違った風景を見せてくれるのだろうと思いに耽って徐々にと下に広がって行く棚田を長めながら歩いていると、どこからきたのだろうか背中に「千早赤阪村」と書かれたTシャツを着た少年が自転車でわたしを追い越していった。
少年達は「こんにちは」と気持ちの良い挨拶をしてくれた。
人口が少ない村なので、外部の人間がいればすぐ分かるだろうし、観光者には挨拶をする様な教育がなされているのかもしれない。
その少年達に「河内十人斬り」を存じているか聞こうとも思ったが、極悪非道な事件が起こった土地に聖地巡礼の様なかっこうで行くのは不謹慎な様にも思うし、嫌な思いをさせてしまうかもしれぬので、「こんにちは」とだけ返した。
何か本の題材の「河内十人斬り」の痕跡を見出せたかといえば、何一つ見当たらなかった。
ただわたしが本を読む事で想像していた風景や人物達がいた土地を主体的確認した事で一つの読書が終わった気がするのでした。
makino