7月30日→8月6日
2025.8
前回の記事でギッリの展示に心動かされ、即フィルムを購入するなどし“来週の休日は写真を撮るのだ”と意気込んでわたしでありましたが、実はギッリ展以外にもわたしの心を大きく突き動かす事象がありました。
東京都写真美術館では企画のギッリ展の他に特別企画展の「被爆80年企画展
ヒロシマ1945」も開催されておりました。
原爆投下直後から翌日の焼け野原になった広島の街、建造物が無惨に崩壊された様子、目を覆いたくなる様な被曝に苦しむ人々など原爆の悲惨さがモノクロ写真で展示されています。
終戦後GHQが布いたプレスコード(報道統制)によって数年間はメディアに掲載する事ができなかった、生々しい写真が多くありました。
これまでも社会科の授業や戦争関連の番組で目にしたものは多くあったのですが
シャッターを切るのを躊躇いながらも意を決して切ったという撮影者側のエピソードを交えながら観る写真は“撮る側と撮られる側”が同じ土地に居ながら別世界にいるような感覚さえ覚え、単なる記録画像として見る以上の感情が込み上げてきました。
社会科ではじめて戦争を学んだ当時10歳そこらのわたしにとって50年前は“昔”という感覚でありました。
それが、歳を重ねていくなかで戦争や原爆の情報にふれ、時は「戦後80年」になったにも関わらず不思議な事に「80年前」という時間を表す数字は当時わたしが感じた「50年前」よりも“そう昔でない”という認識に変わっていきました。
認識、関わり、関心の深さにより事象と自分との距離は大きく変化したのでした。
わたしは今まで広島に行ったことはなく、いつかは行きたいと思っておりました。
というよりも、行かねばならぬとも思っておりました。
そして、写真展を観た翌週はまさに8/6であった事に加え、8/6には天皇杯ラウンド16広島ー清水という試合が組まれており、わたしが広島に行くべき条件はそろっていました。
夜行バスで広島に行き夜行バスでトンボ帰りの日程ではあったものの、わたしはこの日を逃してはならぬと強く思い。
カメラを持って広島に行くことを決意したのでした。